続 地域おこしを辞めた理由

地域おこし協力隊を3月末に辞めて、もうすぐ6ヶ月目になろうとしています。
4月に投稿した記事に、未だにたくさんの人からコメントをいただいています。

前回の「地域おこし協力隊を辞めた理由」にはさまざまな立場からさまざまなご意見が寄せられました。そして、みなさんの意見は、田辺市の立場ある人たちにも見られているようです。直接、話はしてないのでなんとも言えませんし、正式な回答が寄せられたわけではないのですが、いろんな方からそういう噂を聞きましたが・・・。

はじめて会ったり、お話をする人に、「あー、あのブログの人ね」と言ってもらうことも多く、より助けてくれた人も、離れていった人もいますが、どちらかというと、助けてくれた人たちが多かったように感じます。

本宮のばあちゃんたちとは離れてしまったけど、未だに電話をもらったり、お菓子やパンを持って顔出しにいったりしていて、可愛がってもらってます。半年しか仕事はやってなかったけど、これは地域おこし協力隊をやっていたからだと思います。

そして今は行動範囲も、本宮、ちかつゆ、三川、龍神、田辺、串本、大阪とさらにいろいろなところへ行くようになりました。

いろいろありましたが結果的に、ブログを書いてよかったなと思っています。

そして、「コメントなりなんなり出したらどうでしょうか?」という意見があったので、半年経って、楽しくやっている今の現状をお伝えしようと思います。

田舎に暮らしていけるようになるには、まだまだで。今は、前のキャリアを活かしながら定期的な収入源を得てなんとか暮らせるようになってきましたが、もう少し地域の食や生産することに関わることができたらと今もいろいろ模索しています。

その中でいくつかはじめたことがあります。

①葉わさび畑はじめました

歳をとって、葉わさびの畑をやれなくなったので、やりませんか?と声をかけてもらって、来年の春収穫に向けて、畑をはじめました。御年87歳の大先生がいろいろ教えてくれます。先生の軽トラの隣に座っていると、いろいろな植物や先生の人生について話してくれます。今は、急斜面を登って、わさびの葉に肥料をあげたりしてます。黄緑色だったわさびの葉が、濃い緑色へと変わってきました。
この葉わさびは、販売もしていきたいと思っていますが、これをつかって周りにいる人たちと一緒に、お弁当やお寿司などを作れたらいいなと思ってます。

またその隣に山から採ってきたウドも植える予定です。ウドは3本が1年経つと6本に、2年経つと12本に、3年経つと24本にと増えていくそうです。

②ランチはじめました

日高川地域おこしの彼が獲った鹿肉や、合川ダム地域・富里といった山奥の地域のばあちゃんたちが育てた野菜を使って、田辺のゲストハウス あさりやさんで、毎週木曜日にランチをはじめました。ランチをはじめた目的は、地域おこし協力隊の頃から思っていた「ばあちゃんたちの野菜」や「この地域の美味しいもの」を知ってもらって食べてもらうこと。鹿肉を焼いたランチや鹿肉カレー、野菜スープを美味しいと言って食べてもらう、それをばあちゃんたちに伝える。そういうつながりの架け橋になれたらと思ってます。少しずつですが、新聞に掲載してもらったり、雑誌に掲載してもらったりしてもらえるようになりました。

③東京でキッチハイク(食のイベント)やりました

ランチだけでは和歌山限定になってしまうので、東京で和歌山の食を食べてもらう体験イベントをやりました。鹿肉や猪肉、ばあちゃんたちの野菜、串本の美味しいマグロの燻製などなど。今の和歌山の食を体験してもらうことで、興味を持ってもらったり、食材のネット販売につなげられたらと思ってます。思った以上に盛況だったので、次を企画してます。

[詳しくは下記]
東京で味わう和歌山!美味しいジビエと愉快なばあちゃんたちの味の濃い熊野野菜

と、いろいろなことをはじめてみましたが、私ひとりで出来ているわけではなく、たくさんの人たちが声をかけてくれたり、手伝ってくれたり、支えてくれたりしてくれてます。それは、地域おこし協力隊の頃からあまり変わりませんし、ありがたいことに増えました。

地域おこし協力隊だった頃より、楽しく、堅苦しくなく、自由に、たくさんの人とゆるゆると、いつの間にか前に進んでいる気がします。私には、この方が合っているようです。

「地域おこし協力隊」ってなんなんでしょうね?
この間、地域おこし協力隊の子が言っていた言葉です。

強い意志を持って来た子たちが、悩んでいたりします。もっと活動しやすく、もっと自由に楽しく、地域とともに歩める環境ができたらいいなと思います。それには地域で一緒にがんばってくれる人が必要であったり、やってみたいと思うことを柔軟にやらせてくれる行政のバックアップが必要だったりします。

3年という任期がありますが、私は3年間続けることがすべてではないと思います。地域おこし協力隊の人たちが自分たちの生業を作り、その地域に定住できれば、1年で辞めてしまってもいいのではないでしょうか?それよりも3年続けて、生業ができずに帰ってしまう、そんな残念なことにはなってほしくないなと思います。そうなってしまうことが一番の無駄なことのように私は感じます。

今の地域おこし協力隊は、本当に地域の為に、なっているのでしょうか?
生活をかけて移住してきた隊員の為に、なっているのでしょうか?

いろいろな立場で考え方があるかと思いますが、もっと3年後の定住の為に、必要な準備をするための理解や、彼らの活動への自由度が進んでくれることを願います。

たくさんのコメントをくれたみなさんへ、私は元気に忙しく、熊野の生活を生きています。

追伸。
和歌山県田辺市近露という地域で店をはじめました。
詳しくはこちらをチェックしてくださいね。
地域おこし協力隊を辞めた私が田舎でカフェをはじめる理由!

「続 地域おこしを辞めた理由」への11件のフィードバック

  1. 「・・・電話をもらったり、・・・顔出しにいったりしていて、可愛がってもらってます。」「御年87歳の大先生がいろいろ教えてくれます。」
    私はこれらのことに地域に眠る本当の“人材の宝”を見た気がする。
    田舎で最も印象的なのは、風景や食べ物より意外にも人であったりする。田舎で素敵なお年寄りたちに出会う度に、単なる労働力・経済力を指標とする人間価値でなしに、郷土愛や歴史を語り継ぎ地域を継承してきた魅力的な人間としての価値に気づかされる。
    しかしその土地の行政は果たして都会から派遣されるこの隊員たちほど密接に地域の人々と関わっているのだろうか。住民のためにより良い仕事をしたいと実感をもってやってるだろうか。その気持ちがあれば日本の地方の現状ももう少し違ったものになっていたのではないかと考えてしまう。

    1. 私は現在とある外郭団体で勤務している職員です。
      一般行政ではないですが、いわゆるお役所の仕事をしていますが、首都圏であるにもかかわらず変化をあまり好まない体質です。給与も民間よりかなり低く、「仕事は終わればよい。これまでと同じでよし!」の風土が強いです。
      民間で15年経験のある私は、幸いにして理解ある柔軟な上司に恵まれ、少しでも効率の良い業務を心掛けております。
      しかし、大枠での仕事は9時5時で土日祝は一切勤務できず、ノー残業デーも毎週と自由はありません。
      役所は働く人間の為にあるとしか思えない体質で、規則変更にも議会の議決が必要と言われそれまでです。
      首都圏ですらこんな閉鎖慣行的なのですから、地方などさらに旧態依然としているのは目に見えています。
      折角将来性とアイデアあふれる若者が、PCやSNSを通じて地方と都会の架け橋をしてくれていても、お役所が邪魔しているようでは話になりません。

  2. こんにちは。
    前記事も拝見しました。私は現在田舎住まいで、地元のまちづくり活動などに参加しています。
    ただ、仕事も自営で休みも取れず、そんな中での活動でいっぱいいっぱいになっているところもあり、そんな中、地域おこし協力隊に興味をもち、このブログにたどり着きました。
    読んで感じたのは、一言で言えば我儘だなと。
    自治体の行政の人間にも、まちづくりに積極的な人、興味のない人、事なかれ主義の人、色んな人がいます。潰そうとしてくる人もいれば、協力してくれる人もいますよね。私も今生活している田舎は、地元といっても小学生までしか過ごさなかった土地なので、戻ってきた最初は異分子でした。友達もいません。そんな中、今のようなまちづくり活動をはじめるまで、五年かかりました。地元活動や寄り合いの参加で少しづつ信頼を得、協力してくれる仲間に出会い、やっと活動できるようになりました。地域おこし協力隊という立場があるだけで、ある程度その地盤作りはすっ飛ばせる、それだけで羨ましく感じます。それでも最初は、やはり地元の人間に知ってもらうこと、信頼を得ることが一番大事で、偉そうな事を申し上げますが、それができなかっただけなのでは?という気がします。地元の人間、まずは行政の人間に信頼してもらうことです。そこから行政の協力者に出会うことです。
    やる気があるのは素晴らしいことですが、土地の事を知らない人から新しい事をいきなり色々提案されても、受け入れられ辛いのは当然と思います。地元の人にとっては大事な唯一無二のまちで、変化にはリスクが伴います。信頼のない人からリスクのある事を提案されて乗る人はいません。ここを良くしたい気持ちは負けません!それは本音でしょうが、もし失敗してもあなたにとってはヨソの土地のことですものね、と思われるでしょう。やってみたいことを自由に、そのためのバックアップを、もっとサポートを…求めるばかりですよね。税金が使われる以上、なんでもかんでも自由にできるわけはありません。サポートを受けるために自分の居場所を確立していくことも業務のうちでしょう。それと、生活をかけて移住してきた隊員の為に…とは、どういうことなのでしょうか?来てやっている、という気持ちなのでしょうか?そんな上から目線では、地元の方に受け入れられるわけはないと思います。

    1. 上記のコメントにちょっと腹が立ったので横から失礼します。
      千葉県で地域おこし協力隊の方々と活動する者ですが「生活をかけて移住してきた隊員に…」というのは『仕事を辞めて単身で地域おこし協力隊に配属』されるような人もいるので、上から目線になっているわけではなく『人生をかけて移住』してくる若者もこの言葉には含まれています。市からの委託業務として仕事を請け負ってやろうとするも、市としては現状維持の構えで任期終了後の生活。隊員のその後の人生(生業)に無頓着な市が多いのがこの問題の裏にはあります。

      そして自分がよく聞く話に委託業務としてプライベートも捧げて関わってる隊員から「これくらいあなたの経費で落ちるわよね?」と地元の人が勝手にその人の為といい、隊員の活動費を当てにする(酷いところだと勝手に使う)ところもあります。

      信頼関係を気付く前に、常識的な行動から外れてるという場合も多く、仕方ないの範疇で済めばいいですが、お金が貰えないことに腹を立てて嫌がらせをする地元民もいるにはいます。

      我が儘と言葉で切り捨てるのは簡単ですが、田舎には田舎の派閥があり、狭い集落でも10人~20人くらいの人同士で派閥争いしてる所に何も知らされず配属された隊員もいます。ここに載せてる情報が全てと思わない方が良いかもしれません。

      俺は応援しますよ。

      1. 同感です。
        だから地方は衰退するんですよ。
        地元の方のマインドセットから始めないと、衰退は進む一方かと。
        過疎化を止めたいから定住して欲しいけど、我々のペースは乱すな、言うことに従え、出来なければ村八分。
        だから若者が定着しないんですよ。

    2. 来年は協力隊員さんは地域おこし協力隊の制度を知ったうえでこのようなコメントを書かれたのでしょうか?
      協力隊といえどまわりの協力が必要なのは明らかで、それは人間である限りみんな同じですよね。
      人生をかけ、勇気を出して来た若者を潰すのはあなたのような方です。

      とはいえきっと今ごろ筆者の方と同じように苦労されているのでしょうね。

  3. 僻地衰退はもう止めようがない。
    意地悪い見方をすると現政権の「我々は地域を気にかけてるんですよ」という人気取りのポーズにも思える。
    ならば強かに、表面上「3年後には定住しますよ」というフリをしつつ、(住宅支援金なども出ているはずなので)起業資金を貯めるだけ貯めて、3年後に地方都市近郊で起業するのが良いと思う。

  4.  はじめまして。
     前記事とともに大変面白く拝見しました。私は、30代半ばに田舎に暮らし始めて(といってもJターンという形かな)20数年が立つものです。地域おこし協力隊の制度ができた時には、僕らの若いころには無かったので、うらやましく感じたのですが、いろいろ実態を知るにつれてかえってかわいそうだなと思っています。
     たぶん、熊野野菜さんのぶっちぎりの行動力にはかないませんが、行動力があるほうだったので、周囲との軋轢が絶えない時代を走り抜けてきた感があります。役場のほとんどの職員が望んでいた(市になれば給料上がりますから)合併に反対する運動をおこし、町民が心の奥底では望んでいない部分を刺激して成功させ、耕作放棄地対策にいち早く取り組んだ地域団体を作り、その成果で全国的な賞ももらいと、それなりに活動していました。自分を前に出さない性格なので、地域づくりのヒーローではないですが、町内では、知る人ぞ知るような感じです。そのため役場からはにらまれて、公民館の広報誌の編集者公募で、こいつはダメだ的な扱いを受けたこともありました(結局は、なれたのですが)。また商売をやっていたので、町の公共施設にその時の担当に頼まれて販売を始めたのに、次の担当に、例の公共施設で販売してはいけない的な法令?を盾に追い出されたりと、いろいろな目に、あってきました。公民館の広報誌の編集では、それまで、町の職員が企画を考え、編集員はその取材をしてという仕組みを、公募の編集員が企画から考える形に変え、そこが評価され、全国コンクールに常に入賞するまでに育てました。もちろん、いい人材(ほとんどが移住者なのですが)がそろっていたことも背中を押してくれましたが・・・。
     その他、広域の灰溶融炉や携帯の基地局などの反対運動でも、切り込み隊長として役場とやりあい・・・、「役場をぶっ壊せ」的な感じだったと思います。
     20年も暮らしているといろいろありますが、これだけはねっ返りでも、10数年続けた公民館編集を今年で辞めるのですが、来年から文化財保護委員になる予定です。また、来年度から、町の博物館の展示企画を一部任されます。文化財は移住者では初めて、またこの年でなるのも異例です。そう、杭は出すぎればうたれないんです。実績(地域の外部で認められることが大事です)を出せば、認めざる得ないんです。
     でも、一つだけ言えることがあります。田舎で20年生きられるってことは、それなりに田舎の人間になるってことです。年を取って自分が保守化しているのもすごく感じます。うちに町にも、熊野野菜さんみたいに、マーケティングを駆使して、ゲストハウスやカフェで町おこしを試みている都会から来た若い人たちが結構入ってきています。僕たちが、移住してきたころよく言われたので、「都会を持ち込まない」ということだったのですが、そんなことにはお構いなしといった風情に、正直ついていけません。自分も、若いころにはマーケティングを駆使して、合併反対の運動をやったのに・・・です。そう、この20年で自分が『普通のおじさん』になってしまったのです。何年か前に、私が田舎に来た目的は『普通のおじさん』になることだったのかと思って、愕然としました。
     山の中の集落などに行くと、かつて作られた加工所の跡などが廃墟になっているのに出くわしたりします。調べてみると、結構成功した事例で、全国的な賞までもらっていたところも多くありました。それが過疎化によって担い手がいなくなり、廃業し、廃墟になっているのです。そういうのを見ると、世の中はうつろうものだと感じます。自分の存在は歴史の中で、なんとちっぽけかとも感じます。熊野野菜さんも、いろいろ批判されていますが、そんなことは気にせずに、猛進して下さい。
     そうそう、新聞記者の人がコメントに書いていた、行政文書をさらすなみたいなこと、あれには驚きました。そんな取材態度で、行政の不正が報道できるのかと(笑)。
     時々拝見させていただきます。熊野には年に一回必ず訪れるようにしていますので、もしかしたら、ふらっとよらせてもらうかもしれません。

  5. 当時、前の記事を読んで、その後、完全な不調になっていたので辿れていませんでした。

    その後、こんなにうまくやってのけたのですね!しかも、より最新の記事を見れば、新店舗もできた様子。

    ただただ、尊敬します。

  6. 首都圏から和歌山県田辺市に近い、パンダや温泉で有名な町の過疎地域に地域おこし協力隊として半年余り勤務後、都会に近い地域(近畿圏)へ再移住した者です。

    自身の反省を踏まえて強く感じたことは、移住した地域で自らやりたいことをじっくり考えて移住実績のある場所を選んだ方が賢明です。国の制度だからと安心や信頼では失敗する可能性が高いです。

    現場となる役場が欲しいものは、地域住民の不満(過疎化)解消と若い労働力と国の予算です。基本となる地域の実情を充分に把握しておらず、移住者の生活や定住の視点で物事を考えることは殆ど無い様に感じました。

    私の場合、役場の臨時職員で採用され、外部の団体へ派遣されましたが、事前説明会で職員から聞かされている業務内容と全く異なるもので、あまりにも単純労働で物足りなさを感じました。得られるものは少なく、今までの経験をプラス等して定住は全く望めない様な酷い内容です。

    役場は役場の名称を使い職員を採用し、職員を派遣させる団体を指導教育せず丸投げし、予算を使いながら担当させる職員の業務内容を把握していない状況です。私の派遣された団体では前任者を含め、3名全員1年以内で退職しております。

    地域おこし協力隊への応募を考えられている方にはネット等で調査し、慎重に考えてから国の制度を利用される方が賢明です。単なる労働力の補完として役場や地域に利用されることがあります。私の様な事例もありますので、どうか参考にしていただきたいと考えております。

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